「大丈夫。あなたは重くないわ」
気にしている事を見透かされて、胸の奥が小さく痛んだ。僕は重い。大きいし、醜いし、古傷だらけで、片脚もまともに揃っていない。こんな身体で彼女に乗り上げているだけで罪悪感があった。だというのに、彼女はまるで僕の方こそ壊れ物のように扱う。
いや、違うのかもしれない。
彼女にとって僕は壊れ物で、だからこそ虐めても、抱いても、所有しても、なお大事にする価値があるのだろう。そう考えると少しだけ安心した。僕は彼女の壊れ物なのだ。
「もっと落として」
「でも……」
「命令よ」
その一言で、僕の腕から余計な力が抜けた。
腰が沈む。彼女の肉茎がさらに奥へ入り込む。もう底まで届いているはずなのに、また一段深い場所があったように感じられて、僕は息を詰めた。内側をこじ開けられる痛みはなかった。ただ、入ってはいけない部屋に入られたような、古い礼拝堂の鍵を勝手に開けられたような、静かな冒涜があった。
「あ゛……っ、は、ふ……」
声が漏れる。喉からではなく、腹の奥から押し出されたような声だった。彼女はそれを聞いて満足そうに息を吐き、僕の乳首をもう一度吸った。ピアスごと唇に含まれ、舌で押され、歯がほんの少しだけ金属を噛んだ。
「ん゛ッ」
腰が跳ねた。深く落としたせいで跳ねる余地などほとんどないのに、身体は愚かにも逃げようとして、結局は彼女を中で擦り上げるだけだった。ぬるりと動いた彼女の表面が、僕の中のいい場所を根こそぎ撫でる。そこから胸へ、胸から頭へ、そしてまた腰へと快感が巡った。ボイラーの中で熱された水が配管を伝って灯台中を温めるみたいに。
「動ける?」
僕は頷いた。頷いたはずだったけれど、実際にはただ顎が震えただけかもしれない。
それでも腰を上げる。ほんの少し。彼女の先端が奥から離れ、肉壁が名残惜しげに吸い付く。抜けてしまうのが怖くて、すぐにまた沈む。根元まで。彼女の下腹と僕の尻がぴたりと合わさる度に、僕の胸の飾りが小さく揺れた。
結婚指輪。胸の識別標。淫らな銀の環。彼女とお揃いの、恥ずかしい輪。
僕の身体には、いつの間にか輪ばかり増えていた。指に、胸に、性器に、そして彼女の腕の中に。どれも僕を彼女へ繋ぎ留めるためのもので、どれ一つ外したくなかった。
「ねえ、あなた、すごくいい顔をしているのよ」
見られたくないと思った。けれど目を逸らす事はできなかった。彼女に見ていてほしかった。僕がどんなに壊れて、どんなに淫らにされて、どんなに彼女のものとして役に立っているか、全部。
僕は腰を動かし続けた。ぎこちなく、浅く、時々深く。上手いはずがない。誰かを抱いた経験などなく、ましてや彼女を気持ちよくさせる作法なんて、僕のような鈍い男に備わっているはずもない。ただ、彼女の吐息が乱れるたび、僕の中で彼女が少し大きく脈打つたび、それだけを手がかりにして動いた。
「あ、そこ……ん、いい……」
彼女の声が甘くほどける。
その声だけで僕は達しそうになった。ひどい。彼女が気持ちよさそうにしているというだけで、僕の身体は自分の役目を果たした気になって、勝手に褒美をほしがるのだ。
「ま、まだ……だめ、ぼく、まだ……」
「どうして」
「きみが……まだ、だから……」
どうにか言えた。ひどく拙い言葉だったけれど、彼女には伝わったらしい。彼女は一瞬だけ目を丸くして、それから困ったように、とても嬉しそうに笑った。
「あなた、ほんとうに優しいひとね」
そう言われるとだめだった。
優しいわけではない。優しくなんかない。僕はただ、彼女に褒められたいだけの犬で、彼女の役に立ちたいだけの豚で、彼女の熱を受け止めるためにようやく形を持った肉壺だ。それなのに、彼女は優しいなどと言う。僕を人間に戻すような事を言う。
戻されると困る。
僕は彼女の上でぐらりと揺れた。胸の奥が熱くなり、喉が詰まり、尻の中が彼女をきつく締めつけた。
「あっ……だめ、くる、きて、しま……ッ」
「いいわ。わたしを締めつけて。あなたの中でいかせて」
彼女の両手が僕の胸を掴む。乳首の飾りを親指で押し上げられ、同時に彼女の腰が下から突き上げてきた。僕が動いているつもりだったその律動を、一瞬で奪われる。
「お゛ッ、あ、ぁあ゛ッ」
深く突かれる。胸を揉まれる。ピアスが引き攣れる。根元を締められた僕のものは行き場をなくして、腹の上に濁った汁をじわじわ吐いた。射精と言うには勢いがなく、けれど止まらなかった。壊れた管から漏れるように、みっともなく、だらしなく、僕の中身が外へ出ていく。
彼女が笑う。嬉しそうに。
「かわいい。出ているわ。こんなに」
恥ずかしさで息ができなかった。だというのに尻の奥では絶頂がいつまでも終わらず、彼女を締めつけ、喰み、離さなかった。身体中の穴という穴、傷という傷が、彼女のために開いているようだった。
彼女の表情が変わった。
いつもの穏やかな顔が、ほんの少しだけ余裕を失う。赤い睫毛が震え、唇が開く。僕はその顔を見るのが好きだった。僕の内側が彼女から平静を奪っている。僕の醜い身体が、彼女を気持ちよくしている。
「ん……あ、だめ、あなた、中……きつ、い……」
彼女の声が幼く震えた。ひどくかわいかった。かわいいなんて、僕のような男が彼女に対して思ってよいことではない気もしたが、そう思ってしまったのだから仕方ない。僕はその顔がもっと見たくて、疲れ切った腰を無理に沈めた。
彼女が息を呑む。
「あ……ッ」
次の瞬間、彼女の熱が僕の奥で跳ねた。
どくり、どくりと内側を打つ拍動。根元まで埋まった彼女が、僕の一番深い場所に精を注いでいる。熱い。腹の奥が満たされる。流し込まれているというより、体内の空洞に灯りが点ってゆくようだった。彼女の白い喉が反り、胸が上下し、細い指が僕の胸に食い込む。乳首のピアスが引っ張られて痛み、その痛みでまた僕の尻が締まる。
「お゛、おぉ……ッ、入って、る……きみの、なか、ぼくの中に……」
「ええ。あなたの中よ」
彼女は息を乱しながら、けれどはっきりと言った。
「わたしの夫の中」
夫。
その言葉で、僕は完全に壊れた。
もう精など出ないはずなのに、身体は絶頂の形だけを何度も繰り返した。腹の上で萎えかけたものが震え、胸の飾りが揺れ、尻の奥では彼女の射精がまだ続いていた。僕は彼女を抱いているのではなく、彼女に使われ、満たされ、夫という名前で所有されているのだと知った。
それがたまらなく嬉しかった。
やがて彼女の拍動が静まり、部屋には二人分の荒い息と、寝台の軋みの名残だけが残った。僕は彼女の上に倒れ込まないよう腕を突っ張っていたが、限界だった。彼女はそれを見越していたように僕の頬を撫でる。
「おいで」
短い命令に従って、僕は彼女を潰さないよう横へ崩れ落ちた。中から彼女が抜ける感覚に、情けなく声が出た。ぽかりと空いた場所から、彼女の熱と僕の内側の粘りが混ざって垂れる。寝具を汚してしまったと思ったが、もう散々汚している。今さらだった。
彼女は僕の胸に頬を寄せ、指輪を嵌めた手で僕の手を探した。僕も同じように彼女の手を握る。二つの輪がかすかに触れ合って、小さな音を立てた。教会の鐘とは比べものにならない、頼りなく、ひどく私的な音だった。
「初夜らしかったかしら」
彼女がぽつりと言った。
僕は少し考えた。考えたけれど、うまくまとまらなかった。清らかだったかと聞かれたら、たぶんまったく清らかではなかった。寝具は汚れ、僕は胸を弄ばれ、彼女を中に受け入れて、夫婦というよりは相変わらず飼い主と家畜のようだった。
けれど、教会で誓った時よりもずっと、彼女と夫婦になった気がした。
「すごく……よかった」
どうにかそれだけ言うと、彼女は笑った。
「それならよかったわ」
額にキスされる。瞼に。傷に。唇に。僕も彼女にキスを返したかったが、身体が重くてうまく動かなかった。代わりに手を握る力だけ少し強める。
彼女は僕の胸の飾りに指先で触れた。
「これも、指輪みたいね」
確かにそうかもしれない。指の指輪は人間社会に見せるためのもので、胸の輪や下腹の輪は彼女だけが知っているためのものだ。どちらが本当かと問われれば、僕は答えに窮する。どちらも本当で、どちらも彼女に繋がっている。
それでよかった。
眠りに落ちる前、僕は彼女の髪の匂いを嗅いだ。花と、石鹸と、汗と、僕達の行為の匂いがした。とても清潔で、とても汚れていて、ひどく安心した。
僕達は夫婦になった。
朝になれば、たぶん何もかもが今までと同じように始まるのだろう。彼女は店を開け、僕は灯台へ戻り、海では血肉の船が何事もなかったように霧を裂く。世界は壊れたままで、エルドリッジの影はどこかにあり、彼女の胸の奥には病が潜んでいる。
それでも、その夜だけは、彼女の手が僕の手の中にあった。
とはいえ生活はこれまでとまったく変わらない。週末には彼女が泊まりに来て、たまの平日の日中には僕が彼女の元に行く。
だけれど以前よりもずっと満ち足りていた。恋人なのかなんなのか、互いに触れ合い、求め合っているのに名のつかない関係だったものが、はっきりと夫婦というものになったのだ。
心から好きと思える相手とこんな風になれるなんて、夢でも見た事はなかった。
まるで幻想。
「まるで蜃気楼」背後からの声が僕の首筋を温かく撫でる。肌がぞわぞわと昂る。
旧時代に撮影された灯台を映していた霧のスクリーンを、蜃気楼の名を冠する血肉の帆船がぬらりと捲る。まるで彼女が呼び出したかのようだ。
霧が揺らめき払われて、それを機に僕は灯台の写真を缶に戻して蓋を閉める。黴臭い空気がふんわり舞って、彼女が一つ小さく咳をする。
心配になって振り向くと蠱惑的な笑いに細まる目。何を言いたいかはわかる。夜、夕飯も、入浴も、趣味の時間も終わって、その次にする事といったら。
背後から這い寄る小さな手が僕の肉厚の胸をゆるゆる揉む。寄せ集められると胸の先端が服に擦れて痺れるような快感を生み出す。今となっては乳首はいつも硬く尖ったままでシャツ一枚ではその淫らな姿を押し隠す事はできなくなっていた。だから今が冬でよかったと思う。とはいえ直に触られてしまえば厚手の服で隠していても無駄な事。
「いつもかわいらしく勃っているわね」
しなやかな指先が僕の新しい性感帯を触れるか触れないかで通り過ぎて焦ったい快感を煽り立てる。
僕と彼女は溶けるように灯室の床に横たわる。僕の上に寝そべる彼女の温かさと重さは期待を掻き立てるのに十分で、僕の身体はぞわりと慄いた。
彼女は僕の胸の上に頬を乗せたまま、指先で乳首の飾りを弄ぶ。金属の輪が小さく揺れ、そのたびに胸の奥が甘く引き攣った。指輪も、胸の飾りも、どちらも彼女に繋がれている証のはずなのに、彼女はまだ足りないとでも言いたげだった。いや、たぶん僕の方が足りないと思っていたのだろう。指に輪を嵌められ、胸に穴を空けられ、彼女の夫になったというのに、まだどこか曖昧で、流れ去ってしまいそうで、不安だった。
船が港に繋がれていないと不安なように。
「今日は、もっと繋いでおきましょうね」
彼女はそう言って、僕の胸から身を起こした。月明かりの中で、赤い髪が肩から滑り落ちる。僕はその姿を見上げるだけで喉が詰まり、何をされるのかもわからないうちから下腹が疼いた。何をされてもいいと思っている。彼女が僕をどう扱おうと、それはたぶん正しい事なのだ。彼女のものが彼女の手で整えられるだけなのだから。
彼女は小さな箱を取り出した。以前、胸に穴を開けた時のブリキ缶とは違う、細長い硝子の小瓶と、薄い布に包まれた何か。灯室の床に置かれると、金属が触れ合う密やかな音がした。レコードの針よりも細く、けれどもっと淫らな用途のものがそこにあるのだと、その音だけでわかった。
「怖い?」
彼女が尋ねる。優しい声だった。拒んでもいいと言われているようでもあり、怖がる顔が見たいと言われているようでもあった。
