こいつは就く仕事を間違えている。
内藤丁が提出した映像を見た内藤秀は何より先にそう思った。
自分の妹が、マナがこんなに綺麗なわけがなかった。
いや、顔の造りは変わらない。年中日焼けしっぱなしのような肌に、化粧でも誤魔化しきれないそばかす、心の鏡すぎる三白眼と、パーツを一つ一つとってみれば確かによく知る顔。いつもの小憎らしい妹だ。
そういう分かりやすい差異ではなく、何がなんでも被写体の一瞬一瞬を最大限美しく残そうという偏執的な意識による違いだ。
それに加えてマナ自身の心持ちのせいも多分にありそうだった。
あらゆることに興味なさげに過ごしているように見えたマナが、最近は頓に精彩を放っている。
丁を面倒くさそうにあしらう素振りを見せながらも、そこには家族に対する情のようなものが宿っている。あるいは——考えたくもないが——性愛か。もしくはそれに至る前の未熟で清々しい好意か。
それらのすべてが奇跡的に作用して、内藤マナという生き物を最大限によく見せていた。
特に、ありえないほど遅刻して待ち合わせ場所に丁が現れた時のマナの顔といったら!
諦めきっていたような表情にほんの一瞬、驚きと歓喜がごちゃ混ぜになったような感情が差し込み「まだいたんだ」微かにそう呟いて……あとは馴染み深い睥睨と罵倒。それすらも楽しくやっているように見えるのだから恐ろしい。
極めつけは金を借りに一人喫茶店を出た丁を階上から見送る際の蠱惑的な表情。食い逃げするという悪辣な台詞さえその魅力の一部のように錯覚してしまう。
こんな映像に客観性があるなどと、よく言えたものだ。
「警察なんか辞めちまえってんだよなあ」
このロボットは就く仕事を間違えている。
「おい、あれ、あれよう、あの空間が歪むとかああいう映像、お前の作り物なんだろう」
三回目の映像記録検証の後、やっと与えられた休憩時間。秀は丁を庁舎の外まで引き摺り出して、半ば脅しつけるように確認する。偽物だと言わせたかった。
マナの健康的な清々しい容姿に驚いたのは最初だけだ。やはり超能力だか神通力だかの存在を示唆する映像の方が驚きと困惑に満ちていた。未だ信じられないし理解もできない。
人間がその手足をもってして行えること以上のことをいとも簡単にやってのける者が存在したのなら、この社会が破壊される。身一つで空間を越えられるなら痕跡一つ残さずに盗みを働くことも、その罪を他人に擦り付けることもできるではないか。これまでの捜査や司法がすべて否定されてしまう。超能力者や丁のような奴らが存在することそのものが脅威だ。丁のように明らかに人と違う見てくれならばまだいいが、人間となんら変わりない容姿だったのならば警戒のしようもない。危険因子が一般市民に紛れてのうのうと暮らしていると思うと胃が痛くなる。
「私にあのような一大虚構を作り出すことはできません。あの映像は純然たる事実です」
何が事実だよ、と秀は煙草を咥える。ライターを取り出すまでもなく燻る煙。煙草の先端に近づけられた丁の人差し指の先から、極限まで出力を絞った光線が照射されたのだ。
初めてこうして煙草に火をつけたとき、丁は随分と得意げに、自分は役に立つ、一課に一台、だのなんだのと宣ったものだった。余計なことを、と秀は怒鳴り散らしたが、今では……。
「どういたしまして」
当然のように煙を吸い込む秀に、丁は恩着せがましくそう言って軽く頷いた。
「ああいう力が本当にあるとして、じゃあマナはそんな奴らに目ぇつけられたってのか。居酒屋でたまたま隣に座って話聞いたかもしれねえってだけでよ」
「だけ」丁はいつもより少し濁った低い声で言う。「とは言い切れませんが」にやけた顔と相まって嫌味に聞こえる。
「ああ、ああ、女のくせに一人でふらふら夜遊びするからこうなるって」
そう思う者は多いだろう。女が、それも薹が立った行き遅れが、慎ましくするでもなく生意気に飲み歩くからこうなるのだと。秀にとっては腹立たしいことだ。マナが独り身で遊び歩いていることではなく、運悪く起こってしまったことに無関係な因果を見出されることが。その怒りをまったく関係のない丁にぶつける。
「てめえもそう思ってんだろ!」
「いいえ」
暗闇を照らす街灯のような眼差しがふいと秀から逸らされる。会話の相手からは何があっても絶対に食いついて離れることのないそれが。そして瞑目したように真っ暗になった。
こんな時に悠長に落ち込んだ素振りをする余裕があるなんて良いご身分だ。
「ロボットのくせに」と吐き出してから、余計な口を滑らせたと秀は舌打ちした。こう言うと絶対にアンドロイドがどうのこうのと講釈垂れてきて面倒だ。だが今回ばかりはその気配はない。ただ奇妙な沈黙だけがある。
秀は煙草を地面に落とし、踏み躙る。それを咎める言葉もない。いつもなら金属の手を差し出してきて、ここで消せと言い張るのに。落ち込む素振りまで巧妙にできている。
最後の煙を長く吐き出し、秀は丁に問う。
「お前、マナをどう思ってるんだ」
「大変美しい方だと思っております。ええ、確かに容姿の面でも優れておりますが、それだけでなく、身の振る舞いや心のありようによる気高い美しさです。マナさんは孤高です。誰に頼るでもなく、いつも堂々と凛としていらっしゃいます。あの素っ気なさと露悪的な態度は優しさが故でしょう。また、時折見せる切なげな表情は、まるでこの世の神秘の一欠片です。私はその意味を求めてやみませんでしたが、それももう……」
「唐突に饒舌になるんじゃあねえよ……」あとそういうことを聞きたかったわけではない。
「そして内藤マナさんは」
尚もずれた回答を続けようとする丁に、秀は質問の意図を教えてやろうと俯き加減の顔を見上げる。見計らったかのように庁舎の前を横切る車のライトが鉄面皮をほんの一瞬闇の中に浮き上がらせる。
「悪い人です」怖気立つ笑顔だった。
秀はしばしそれに圧倒されるが、強い光に幻惑されたのだと判断して気を取り直す。
「あァ!? てめェ、この世で一番対等にまともに相手してくれる人間に対してその言い草はなんだァ!?」
秀は丁の襟元を引っ掴み、脚をかけて転がそうとするが、当たり前にびくともしない。まるで電柱だ。
「褒めているのですが、困りました、どうも私の意図がうまく伝わりませんね」
秀に向けられる二つの白い掌。宥めるためだというのならまったく無意味だ。むしろ怒りは増す。
「褒め言葉じゃねえからだよっ!」
「では簡潔に言い換えます」十本の指が両の人差し指二本に減る。「完全無欠唯一無二」
荒い息を吐いて秀はやっと丁の服から手を離す。この大型新人に何度こうして土をつけてやろうと試みたことか。そして何度失敗したことか。
「くそったれが!」
「そのような言葉遣いはおやめください、どうか。あなたは素晴らしい方なのに、そのせいで随分と誤解を……」
「くそっ、くそっ、畜生! こっちはなァ、てめえの狙いはすべてお見通しなんだよ!」
ロボットに守られるべきプライベートはない。命じられたのならいつでも記録映像を提出する義務がある。だが人間にへばりついていれば話は別だ。プライバシー保護のおこぼれに預かれる。そうしたい理由まではわからないが、公にできないような企みがあるからこそに決まっている。
「家から追い出してやりてえくらいだよ。マナがてめえを」その先は言葉にしたくない。「ああーっ、畜生」
内藤家で一等警戒心が強くて強情なのはマナだ。まるで野良猫。猫と違うのは自分達に害なす者には誰彼構わず後先考えずつっかかっていくところ。命が九つあったとて足りない。
それと同時にマナは何か困難を抱えて弱っている様子のものには弱い。たとえば捨て犬や一人暮らしの千鳥居なんかには。そして何かと疎まれがちな丁にも。本人は気付いていないようだが、そうした性質のものに自分自身を投影しているのだ。
アキや薫もそんなマナに追従する性質がある。マナが怪しむものは遠ざけて、マナが受け入れたものには気を許す。母猫子猫だ。
そして秀もよほどのことでない限りマナのすることに口出しはしたくない。そんな権利はないし、借りもある。
蒸発した父親を探し出すことしか頭になかった秀に代わって家計を支えたのはマナだ。辛いのは、マナが恩着せがましくもしなければ、それについて何も言わないことである。つまり言えないような稼業にも手を出したのかもしれない。いやに身綺麗にして出かける日も多かった。足を向けて寝られない。
だからマナが丁を気に入っていて、家に置いておいて構わないと思っている間は、秀には手も足も出せない。こういう関係を無理に引きはがすともっとよくない結果になるというのも経験からよくわかっている。
つまりマナ一人を懐柔してしまえば内藤家の全員を手中に収めたも同然。丁が内藤家で真っ先にマナに取り入ったのは、それを見抜いていたからに違いない。
丁は大抵のことにおいて昼行燈だが、時折いやに目端が利くところがある。それをもう少し仕事に活かせていればここまで苛つかない。
「あなたがおっしゃるところの“私の狙い”については私自身皆目見当もつきませんが、追い出すという目的は早晩達成できるでしょう」
他人事のような平坦な声色に薄ら笑い。そういう飄々としたところも気に食わないのだ。およそ真の感情というものが見えず不気味でもある。
「出てくのか。根性ねえな」しかし片腕片脚を失ってもなお、諦めずに戦い続けたのは賞賛に値する。
「お言葉ごもっともです」
「ついでに警察もやめちまえ」とはいえ丁以外の誰が超能力者なんかと対等に渡り合えるだろうか。
「はい。短い間でしたが、お世話になりました」
「お前警察向いてねえもんなぁ」こればかりは本心だ。
「そうでしょうか。私ほど機能的に……」
「ここにきて突然口答えしてくるんじゃねえよ! そう思ってんなら何がなんでも喰らい付いてこいってんだ! まだマナを狙った奴らが野放しじゃねえか!」
どん、と胸を押すと珍しく丁の体が揺らぐ。その目も、息も。
「いいか、明日から休みをくれてやる。ぶっ壊されたところしっかり直してこい。命令だからな」
しかし……と反抗しようとしてくる丁のネクタイを掴み、秀は凄む。
「これ、しっかり記録しとけ! マナはお前のこと、いい奴だと言ったし、俺は人の言うことはまずは信じたいんだ! 覚えとけよ」
丁の眼光が何度か明滅して、真っ暗になる。俯く顔。落ちる肩。
「悪い人ばかりです、私の周りは」
「あァ!? だからその言い方やめろ。馬鹿にしてんのか人間様ををぉォ!」
丁という男が人間の営む窮屈な組織に属することなく、ただひたすらに人間を守るためにある、理想的に素晴らしいものであれたのなら……秀は思う。今回のようにマナも、そして丁自身も傷つけられることはなかったのだろうに。これからだってそんなことばかり続くだろう。
「お前警察向いてねえよ」
内藤丁は就く仕事を間違えている。
THE END of Memorygenic
