カール=レフを戒めていた鎖が弾け飛ぶ。その音は金属というよりも肋骨の割れる響きに似ていた。時を同じくして、木馬達を貫いていた支柱が瓦解する。悲鳴じみていた嘶きは、勇壮な響きへと塗り変わる。
騎士の長は幽鬼のごとく夜空に舞い上がり、摩天楼の彼方を指す。
「いざや討たん、我らが怨讐!」
馬が、獅子が、象が、前足を上げて鬨の声を上げる。気球と鵞鳥は二階の伽藍から飛び立ち、先駆けとなる。四頭立ての馬車は柵を薙ぎ倒し、その後に自由を取り戻した獣達が続く。
「感謝する。我らはとうとうこの肉車殿堂より解き放たれ、復讐を全うする」
星なき夜空を背に、カール=レフは由羅を見下ろす。その皮膚のない貌には清々しさと気概が満ちており、滲むのは血ではなく在りし日の精悍さだ。
「さよなら」
由羅の別離の言葉に幽かな頷きを残し、カール=レフは錆びた顔当てを下げる。
カルーセルの輝きが弾け飛んで、辺りは闇に包まれた。
高層ビルに区切られた闇を駆け巡る、獣の遠吠え……。
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夏の高い青空に色とりどりの気球が浮かぶ。
由羅は天を衝く摩天楼からは遠く離れ、どこまでも空の広い実家に居を移していた。元より、都会に出たのはあの回転木馬に礼を言いたかったからに過ぎない。
由羅はあの夢のような邂逅の後、実家に戻って牧場を継いだ。上京するまでは手伝っていたし、嫌いな仕事ではなかった。両親は由羅に後を任せ、早期退職して船旅を楽しんでいる。ちなみに馬鹿な弟は何を思ったか国際的俳優になると言ってマンハッタン島に行った。まあ、がんばったらいいと思う。
一人で牧場を回し始めてしばらく経ってからのこと。世界有数の億万長者が死んだという報せを耳にした。その名はシャルル・ラ=エフ。
彼らはやり遂げたのだ、とニュースを見た由羅は思った。そして泣いた。
億万長者の死因は、表向き病死と発表されたが、そうでないことは明らかだった。
厳重な警備システムをかいくぐって現れた殺人犯たちは、甚振る様にシャルル・ラ=エフを打ち据えた。相当原始的な得物……いや、というより、汗馬の蹴り上げ、そして牙や鉤爪、重量級の踏みつぶしだろう。 警報システムまで這いずる骨も内臓も潰れたラ=エフを馬車が引き回し、鵞鳥の嘴がその目を啄んだ。監視カメラはおもちゃのような気球が遮り、何が起こっているか記録すらされていなかった。
そして最後は古風な槍が無様に命乞いする錬金術師の心臓を貫いて――
「あの時のあの男の顔といったら」由羅の隣で乳牛のふんの処理に精を出すカール=レフが裂けた喉の奥で含み笑いを漏らす。「君にも見せたかったな」
この話になるのは何度目だろう。由羅は見てもいない殺人現場を、居合わせたかのように思い描くことができるまでになっていた。老人というものは同じ話を何度もするというし、もう諦めている。それにこの話をするときの彼の目はとても輝いていて綺麗だ。
あの遊園地での夢のような一夜が、カール=レフと彼の騎士団との永訣だと思っていたが、本懐を遂げた後、彼らは由羅の実家の農場に列を成して戻ってきたのだ。
まるで百鬼夜行だった。真夜中に、街灯もない林道を、あのカルーセルの輝きを纏って彼らは凱旋した。
先陣は錆びた鎧のカール=レフ。続くは木馬、獅子、象。しんがりは馬車。その頭上を舞うのは鵞鳥や気球。
由羅は家を飛び出した。そして列の前で膝を折りかけたが、それより先にカール=レフが由羅を抱き上げ、くるくると回った。まるで回転木馬のように。
「禍の元を断てば我らも昏き場所に堕ちると思っていた。しかしこうしてなお、白き地を踏んでいる」
「ずっと、ここにいたらいいんですよ」
由羅の頬を伝う涙を錆びた指が拭う。軋んだ音と共に兜の面が上がる。その顔に、やはり人皮はなく、新鮮な血で包まれていた。呪いの根は断てども、彼らの不死性と痛ましさは消えないようだった。
「私を……我らを受け入れてくれるのか」
はい、と由羅は深く頷く。
「かつて、虐げられた痕も露わに涙する君に私は……欲情した。どうしようもない男だ。それでも、受け入れてくれるのか」
「いまの、平穏な私には興奮しませんか」
「いいや……きれいだ、とても、きれいに……なった」
由羅とカール=レフはひどく穏やかな接吻をした。
広大な星空の下、馬の嘶きが谺した。
カール=レフのカルーセル 完
