第五十回悪の技術展示会―― もはや名前だけで知能を試されるような催しである。
入口では機械広告塔が「タンパク質溶解液無料体験! 今すぐ死ね!」と叫んでいる。既に会場入りしている展示者達は自慢の技術のディスプレイと試運転を着々と進めている。指を鳴らすと指先に火が灯る手袋――T4-2なら嬉々として装備しそうだ―― 、かわいいぬいぐるみ――だがこの会場でそれはかえって不穏だ――、混沌を先取りさせられ、朝から頭がくらくらしてくる。
こんなものに律儀に並ばされるとは……とマナが鼻を鳴らしたそのとき、前にいた人物が振り返り、金属的な反響を伴う声で言う。
「お姉さん、並ぶの嫌いそうやなぁ。見たまんまや。うちのこと無視せんと、お喋りに付き合うてくれたら、待ち時間もなんぼかマシになんねんけど?」
機械公爵である。空調の効いた広い展示会場とはいえ、立ち並ぶ展示ブースと開場待ちの行列を所狭しと詰め込まれ、なかなかの熱気である。そんな場所でも涼しい顔……をしているかはわからないが、機械公爵はいつも通り、頭の先から爪先までを覆う西洋甲冑的な装い。暑くないのか、と聞きたい。いや、それよりも。
「国際手配の悪党のくせに、真面目に順番守るんだ」
機械公爵だけではない。一見して一般人的な風采の者からマナの目の前にいるような際者曲者じみた風体の者まで、悪の技術に関心を持っているであろう者達が整然と並んで粛々と開場を待っている。場の空気に呑まれて、機械公爵を見つけ次第ぶちのめしてやろうと思っていたマナの気概もさすがに消沈していた。
「みんながみんな、好き放題やっとったら、展示会そのものが五秒でおじゃんやで。前の会場なんか、横入りでケンカ始めたアホのせいで永久出禁や。せやから今こうして、わざわざ極東の端っこくんだりまでお行儀よう遠征してるんよ」
なるほど、モラルをどこかに忘れてきた奴らとはいえ、同じ目的の前では団結もやぶさかではない、というわけか。
「いっそ感動するわ。悪党の鑑ね」
「棒読みで褒めてくれてありがとさん。そういうお姉さんは、どうやってこのイベント見つけたん。その手の人にしか告知いっとらんはずなんやけど」
「白々しい」
マナはショルダーバッグから一枚の紙を取り出して機械公爵に突きつける。
「昨日、あたしの鞄に勝手にこれ入れたの、あんたでしょう」
そう言って突き出したのは、どこからどう見ても胡散臭い、開催告知のチラシだ。
今朝旅行鞄から服を引っ張り出した時に発見したものだ。日程は今日。会場はなんと滞在中の鎌倉市内。怪しいと思いつつ、正義感というよりは好奇心に負けて、修理中のT4-2を置き去りに、マナ一人で来てしまった。
「さすがに正義の味方の味方にお知らせ渡すほどアホちゃうわ」
「あんた以外に誰が」
いつ、どこでどうやってマナの旅行鞄にこんなチラシを紛れ込ませることができたのか。考え込もうとした矢先「あっ、それ、僕です」背後から間の抜けた声が割り込んだ。自首にしては軽やか。
機械公爵がマナの後ろを指差す。
「アホ発見」
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「悪の技術展示会」牧島は眼前に突きつけられたチラシから少し顔を離し、老眼を誤魔化すように、目を細めて字を追う。「『今年も大勢の参加者が自慢の技術を引っ提げて大集合! 無料配布もあります。開催日は』」そこまで読んで牧島は驚きに満ちた顔を上げる。「今日。場所も近いじゃない。鎌倉産業会館だ。歩いて行ける距離だね。もちろん電車で行ってもいいし、私なら自転車かな……それで、どうしたんだい、これ」
「鞄に入ってた」
牧島がこっそり入れたのではと思ったが、この反応からすると、おそらく違うようだ。
「ああ、朝その服を鞄から出したときに見つけたと。似合ってるね」
二号が選んだんだろう、と牧島は修理台に横たわるT4-2とマナの白いワンピースを交互に見る。
T4-2は何を言うでもなく暗い目をしてじっと横たわっていた。マナとT4-2は昨夜一緒に眠ったはずなのに、いつの間に修理室に戻ったのか、起きた時にはベッドにはマナ一人きりだった。寝ていても一声かけてからいなくなればいいのに、とマナは男を見下ろす。昼間はこうして死んだようにしているのだから、一言くらいは。ぶつけられない文句が胸の奥で蟠る。
マナの右腕は一晩眠ってすっかり治っていたが、T4-2の右肩から先は、いまだ空虚なままだ。左右非対称の軀は、マナに彼の故障の原因を突きつけてきて、見るたびに息が詰まる。痛々しく感じるのは欠損のせいか、それとも……。
「これが何なのか知ってるかと思って見せたんだけど」
マナは牧島の手の中のチラシを指先で弾く。
「残念ながら、わたしは悪の科学者じゃないから、こういうのにお誘いされたことはないんだよね。暮谷博士とは違って」
牧島の口から出た暮谷の言葉にマナは食いつく。T4-2の目は暮谷しか直せない。しかし今は行方不明だという。T4-2の戦闘力を鑑みれば目が壊れるということはそうそうなさそうだが、万が一のことを考えて暮谷を捕まえておきたい。
「暮谷博士ならこういうのに来るかもしれないってこと。つまり悪の科学者?」
まあそんなような気はしていた。T4-2のような変態ロボットを作るような変態が善人なわけがない。
「人は悪かったからね。トロイリ四型の開発途中に相談なくわたしに全部押し付けて消えちゃったんだから。まあ、私を信頼してのことだと思うと嬉しいけどね」牧島はくるりと椅子を回してT4-2に体を向ける。「彼が残して行ったものを見れば分かる通り、彼は物好きなんだ。交友関係も広かったから、そういう所で知見と友達を増やしていたのかもしれない」
暮谷自身がいなくとも、知り合いか手がかりが見つかるかもしれない。チラシを見つけた時は冗談か悪戯の類かと思ったが、行ってみる価値はありそうだ。
そして鞄にチラシを仕込んだのが牧島でないのなら、犯人は昨日列車に乗り合わせた奴だ。すなわち機械公爵。愛しの機械仕掛けの警官をおびき寄せるつもりだろう。捕まえて連れ去って閉じ込めてありとあらゆる実験を施して、そして……けしからん。あんなのにあの変態を会わせてなるものか。マナ一人で会場に乗り込んで、がっかりさせた上でその身も心も打ち砕いてやらなければならない。
が、T4-2を残して行くのは少々心配だった。機械公爵以外の脅威が牧島邸を襲撃しないとも限らない。そんな時にT1-0を使えるマナがいないと困るだろう。
それに、朝起きて隣にいないだけでこんなに不安だったのに、もし本当に失ったらと思うと……。
あとは牧島や海崎達だって心配といえば心配だ。精神こそ少しばかり常人とは違うが、その身は人間で、しかも老齢にさしかかっている。
「興味あるなら行ってきたらどう」
そんなマナの色々な心配を他所に、牧島は簡単に言う。
「行かないよ」
「えっ、二号が心配で? 愛だね」
「違うけど」
マナの言葉少ない否定に、牧島はぱちんと拍手する。
「あっ、嘘つくときの癖のやつだ!」
そんなことまでぺらぺら報告しているのか、とマナは活動停止中のT4-2を睨みつける。
「愛はいるけど心配はいらない。昨日は運悪く電気が落ちたせいで慌てたけど、ちゃんとした防衛システムは備わってるんだ。それに一応、何かあったときに助けてもらうあてはある」
「一号?」
T4-2が二号なら、一号が存在しているのも今更ながら自明だろう。あんなのがこの地球上に、しかも関東に二体もいるなんて想像したくもないが。
「いや、零号」
「三人もいるの!?」
「零号はいい子だよ」
「一号と二号は違うってこと!?」性格が徐々に先鋭化……変態になっているということでは。
「みんないい子だよ。ちょっと個性が強いだけで」
そう牧島は取ってつけたように言い、だから気兼ねなく行っておいで、とマナを安心させるように頷く。
マナはちらとT4-2を見て言う。
「わかった。じゃあ行く」
「強いから大丈夫だとは思うけれど、お守り渡しておくね」
手を出して、と牧島は机の上に置いてあった巾着袋をマナに差し出す。
「二号から預かったんだ。マナさんなら暇を持て余して一人で出かけるだろうから渡してくれって。二号だと思って肌身離さず持っていてほしいそうだ」
暇を持て余すとはひどい言いぐさだ。こちらは心配してやっているのに。そう思いながらマナは掌の上の巾着袋に目をやる。
巾着は梅柄の縮緬で、内藤家近くの神社の名が刺繍されている。気持ちは別として、品はありがたく受け取りバッグに突っ込んだ。
「あ、もう一つ預かり物と言伝が。はい、手を出して。左手がいいかな」
マナは再び素直に手を差し出すが、今度は掌に物が乗せられることはなく、代わりに手首にガチャリと冷たいものが巻きつけられる。
「ちょっと、何すんの」
ずしりと重たいそれは、腕時計だった。T4-2がいつもつけているものだ。
「それで時間を確認して。門限は十六時だそうだから」
子供ではあるまいし、そもそも今時この季節に夕方四時に大人しく家にいるような子供なんていない。それに――意味はまったくわからないのだが――T4-2自身、「自分は兵隊ではないから、時間など確認しない」と昨日たしかに豪語していた。しかし他人にはそれを強いるとは、それではまるで兵隊扱いではないか。まあ今までの扱われ方を鑑みると薄々そう思っていそうではある。
それよりなにより「自分はいつも遅刻するくせに」マナは苛つきや不快を込めた顔を牧島に向ける。
「わたしは、いい大人に門限なんて必要ないと思うのだけど」牧島は、わたしは、という部分をことさら強調する。マナの怒りの矛先が向かないようにだろう。「二号の言動に深い意味はない。あなたが心配なだけなんだ」
「自分がいない間も管理したいだけでしょう」
バンドまで金属製の腕時計は重たく、さながら手枷だ。
「彼の好きは“そういう”好き、なんだよねえ」
“そういう”好かれ方が身に染みてしまったマナには、今更それを拒絶する気にもなれなかった。時計も、T4-2のマナへの気持ちも、どちらも重たい。だがそれは程よく心地よくすらある。
聞こえていないのは承知で、マナはT4-2の耳元で、ちゃんと四時には帰るよ――あたしの保安官さん、と小さく囁く。約束を守るのも心を捧げた証拠になるというのなら。
そんなマナの清廉で甘美な情緒は牧島の言葉にぶち壊される。
「あ、あと、もし美術館に行っても壊さないように、だって」
上野で美術館を少々壊したことを、いまだに言うとは。
「本当にいつも余計なことを」
マナは物言わぬT4-2の胸を殴りつけた。
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