祝日特急南西へ - 4/7

 蔦の絡みついた鉄の門扉を支える石の柱には堂々たる書体の表札がかけられている。
 不用心に開け放たれた門扉の奥には青々とよく手入れされた芝生の敷かれた広大な庭。真っ白くつやつやした石畳の先に構えているのはどっしりとした洋館。
「あんたの実家めちゃくちゃ金持ちそう」暗に、お前は何故常に金欠なのだ、仕送りしてもらえ、という意味を含んでいる。
「実家と言っていいものかはわかりませんが、確かに牧島博士はかなりの資産家です」
「悪いことして儲けてるに違いない。暴いて脅して一枚噛ませてもらおう」
「自分が容易に手に入れられない物を持っている人間は悪事によってそれを手に入れたと思う性質なのですね、あなたは」
「いちいちあたしを分析するな」
 石畳の果て、洋館の入り口では運動着から私服に着替えた牧島が待っていた。ふんわりした白髪は、先程までヘルメットに押し込まれていたとは思えぬほど整えられていた。
「仕切り直ししよう。内藤マナさん、遠路はるばるようこそね。どうぞ入って。靴は履いたままで結構」
 土足で上がった館内は天井も高く、壁はミルクチョコレートのような艶やかで高級感ある色。暗色の壁ではあるが、吹き抜けから降り注ぐ陽光のお陰で室内は穏やかに明るい。マナの予期していた、じめっとした陰鬱で何か事件の起こりそうな洋館とはまったく趣の違うものだった。
「二号、客間に案内してさしあげて。その後早速、修理といこうか」
「はい。ではマナさん」マナは差し出された機械の手にごく自然に自分の手を乗せるが、すぐに引っ込める。客の様子を見ていた牧島が一つ大袈裟に感嘆の息を吐いたためだ。俗悪な好奇心からくるものではないとは分かるのだが、それでも一挙手一投足に勝手に何か深い意味を見出されるのは好きではない。
 不思議そうに首を傾げるT4-2に「一人で歩ける」と短く言い放ってからマナは、厚意と好意を向けてくれているうえ、しかも具合の優れない相手に悪いことをしたとちょっとだけ思ったが、T4-2も「そうでしたね。あなたは一人で歩けます」とだけ言って先に階段を上って行ったので気にしていないのだろうと思うことにして後を追った。
「どうぞ、こちらの部屋をご自由にお使いください」
 二階の一番奥、開け放たれた扉から見えるのは、暗い地色に絡み合った植物と鳥の図案の壁紙。それを覆い隠さんばかりに聳え立つ書棚、クローゼット。
 部屋の隅々まで見回して、ふぅん、とマナは乾いた息を吐く。
「ここ絶対あんたの部屋でしょ」
「ご明察の通りです」
 T4-2は何故か嬉しそうに頷く。
「牧島博士は客間に案内しろって言ってたけど」本当に他人の話を聞かない奴、とマナは横目で汎用亜人型自律特殊人形を睥睨する。
「私の部屋の方が日当たりと風通しの点で優れております」
 確かにそのようだ。T4-2が窓を開け放つと心地よい風がマナの首筋を撫でる。爽やかな日の光が室内をきらきら照らして、まるで宝箱のようにも見えた。
「なによりあなたが私の寝台で私の寝具に包まれて眠るなんて浪漫がありますでしょう」
 考えただけで興奮してしまいますネ! と身悶える精密機械。
「その上等な頭をそんな低俗な考えに使うのやめなさいよ」マナは悪くない部屋だと一瞬でも思ったことを後悔した。「ほんとにそういうとこ治してもらうから」
「調整については博士とよくご相談なさってください。きっと望み通りの仕上がりにしてくださいますよ」T4-2はマナをじっと見つめる。「ですから、私とあなたが話すのはこれで最後になるかもしれません」
「どういうこと」
「人格とは、意識や記憶の連続性です。メンテナンスで私の回路に変化が生じ、それが断たれたならば、この私は消滅したも同然」
 まったく意味が分からず考え込むマナの頭の働きを遮るようにT4-2が言葉を続ける。
「姿形は同じでも、人格の異なった私は果たして、今ここにいる私と同一個体と言えるのでしょうか」
「あたしにそういう難しいこと聞かないでくれる。あんたが昨日言ったみたいにあたしは単純なんだから」しかし単純なりに胸はざわつく。
「これは失礼」単純と言ったことに対してか、単純な人物に難解な話題を振ったことに対してか。
「さて、メンテナンスの前には浴室で軀を洗うべきです」
「それはそうかもね」
 今日はすでに大騒ぎをしたから随分汚れていることだろうな、とマナは汎用亜人型自律特殊人形の軀を上から下まで眺める。服は少々汚れてはいるが、乱れを正したお陰で軀の汚れはどうだか分からない。
「行きましょう、マナさん」
 マナは差し出されたT4-2の手と彼自身を交互に見る。
「なんであたしも」
「私の軀を洗ってくださるのでしょう。あなた手ずから、隅から隅まで、余す所なく」
「なんであたしが」
「それは、内藤マナさん、あなたと触れ合うたび、この身は熱を孕み、しとどに濡れて、あなたという名の穢れに侵されてしまうのです」だから丁寧に洗ってくださいね、とT4-2の大きな掌が胸から腰を婀娜に撫で下ろす。
「吐瀉物とか、あとは……」
「やめて黙って」
 マナはT4-2の勾玉模様のネクタイを首輪代わりに力任せに引っ張る。鼻先が触れ合いそうなまでに互いの顔が近づいて、うっそりと灯る二つの明かりがマナの頬をじわりと炙る。これでは恫喝にならない。まるで口付け寸前。
「嗚呼、気に入っているネクタイなのでやめてください」
 などと言葉の上では嫌がりながらも、T4-2の声と眼差しは艶めく。そして彼の手はネクタイを引っ掴む手をするりと解いて包み込む。
 振り払うこともできるだろうし、やめろ風呂くらい一人で入れ、と叱責すればT4-2は諦めるだろうが、マナに罪悪感を抱かせる余計な一言か表情仕草がついてくるに違いない。
 それを考えれば、仕方がないなと諦めるのは、機械ではなくマナの方。大人しく、心身ともに引かれるまま、T4-2の広い背についてゆく。
「いい機会です。あなたのご自宅では、二人で入浴は物理的に困難でしょう」
「風呂場狭いもんね」
 自宅の浴槽はマナ一人でも脚を伸ばして入れないくらいの狭さ。洗い場など言わずもがな。そこにこの巨大な鉄塊がいては、洗ってやるどころの話ではない。
「そうではなく、この家に比べると、あなたのお宅はささやかな広さです。私とあなたが破廉恥な行いをしていれば、ご家族にすぐ露呈してしまいます」それはお嫌でしょう、と気を遣っている風の声色を出すT4-2。
「露呈も何も、風呂場でそんなやらしいこと」するわけないんだから、と続けようとしたマナは、首を傾げて肩を竦めるT4-2を見て自分の青い考えを改める。「するんだ」
 その通り! とT4-2は得意げに、例の仕草を繰り出す。両の人差し指を怪電波でも送信するかのように真っ直ぐ立てて、胸の前で突き出す。浴室で淫らなことをするなんて浪漫がありますねェ〜、と嬉々とした様子。
「しないからね。あたしは服着たままあんたを洗うから。車みたいに。なんなら庭で洗うよ。ホースで水かけて、タワシで擦る」
「私は屋外で裸体を晒す趣味はありませんし、束子を用いるなんて嘆かわしいですね」
 T4-2のボディは鎧的で服を纏わなくとも運用できる設計意図があるのだろうが、いつも服をかっちり着込んでいるが故に脱げば裸体の概念が付き纏う。
「人間社会で人間と共に用いるならば、人間らしい生活をさせるべきです」
 優雅かつ上品な所作で開けられた扉の先には瀟酒な化粧室。その奥の開け放たれた磨りガラスの向こうにはなかなか広そうな浴室。
 しげしげと内装を見回すマナの背にT4-2の声がかけられる。
「マナさん」振り向けばT4-2は靴を脱いで両腕を地面と水平にぱかっと広げている。「脱がせてください」
「服すら一人で脱げないのかい」そう悪態をつきつつも、マナはT4-2の目の前に立って身包み剥いでゆく。ベストを剥がし、ネクタイとベルトを引き抜き、シャツも、スラックスも色気なく脱がせる。まるで、みかんの皮を剥くようなものだ。けれど、中身は瑞々しい橙色でない。青みがかった鈍色。その素肌に絡みついているのは、白い筋ではなく黒いガーター。マナは視線を逸らしつつ、指先に力をこめて、それを無言で毟ってゆく。
「あまり雰囲気がありませんね。いつもは情緒について口煩く仰るのに」
 靴下ばかりは自分で脱ぎながら不満そうな様子を示すT4-2。
「幼児さん脱がせるのに何の雰囲気が必要なわけ」力任せに毟り取ってボロ布にしなかっただけ、感謝して欲しいものである。
 マナはスカートだけ脱ぎ捨て、邪魔なブラウスの裾は捲り上げて鳩尾の辺りできつく結ぶ。男の視線が脚や身体の膨らみ、くびれた部分に絡みついてくるが、気づいていないふりでやり過ごす。犯すような、もしくは崇拝するかのような不思議な眼光は、どうしてか悪い気はしないが。
 草花模様の浴室のタイルは陽光を反射して艶々と輝き、足を踏み入れればひんやり冷たい。
 壁に引っ掛かっているシャワーは洋風だが、脚のない大きな浴槽と広い洗い場は和風の佇まい。
「素敵でしょう。擬洋風建築の面目躍如ですね」
 T4-2に教えられた通りにシャワー栓をひねると細かな粒がタイルを穿ち、マナの素足に跳ね返る。マナは、温水に変わる前の冷たい水を容赦なくT4-2の膚に向ける。彼は、あん、だか、おん、だかいう喘ぎ声をあげ、身悶える。
「変な声出すな」
「あなたがいきなり冷水をかけるからです」
「身体熱いんだから冷たいくらいでいいでしょうが」
 雫がくまなくT4-2の彫像のような軀を舐める。雄々しく張り出した部分はゆっくりと、優雅にくびれた部分は急峻に。細い水の流れが排水溝へと散ってゆく。
 シャワーを止めるとワックス塗りたての車のようにT4-2の軀はたちどころに水を弾く。水の粒が艶やかにきらめいてマナの目が眩む。上等というか、高級というか、本当にいい造りだった。
「洗剤どこ」
「ボディソープがあります」
 T4-2は作り付けの棚から、花柄と流麗な書体のアルファベットが描かれているボトルを手に取る。
「牧島博士は大変よい香りだと仰っていました。あなたにもお気に召していただけると嬉しいのですが」
 ボトルに顔を近づけてみると、ほのかに甘く、そして清廉な匂いがした。
「まあ、そうね、いいんじゃない」
 とはいえ、一番好きな香りは石鹸や洗濯洗剤の香りだ。マナ自身は気づいてはいないが、それはT4-2がいつも纏っている匂いだった。
「スポンジも使ってください。柔らかくて気持ちがいいですよ」
 T4-2は同じく棚に置かれた黄色くて丸いものを取り出すが、軽石のようで柔らかそうには見えない。しかしそれを洗面器に溜まった水に浸すと、たちどころにふんわりと広がる。
 T4-2はまるで赤ん坊か小動物を抱くようにそれを優しく掬い、マナへと差し出した。
「ほんとだ、柔らかいね」
 マナはスポンジを力の限り握り潰し、その柔らかさを堪能する。指の間から体液のように噴き出す水分。
「私もあなたに片手で捻り潰される海面動物になりたいものです」
「気持ち悪い」
「海綿動物は美しいですよ」
「あんたを、気持ち悪いって言ったの」
 スポンジにボディソープを染み渡らせて、ゆるく揉み込めばきめの細かい泡がたつ。
 マナは洋菓子のような泡に包まれたスポンジをT4-2の軀に滑らせる。
「人間用のボディソープ使う意味あるの。あんたの場合洗剤の方が絶対綺麗になるでしょ」
 首の蛇腹状の隙間の一つ一つにもスポンジを捩じ込んで泡を塗り込める。T4-2は心地よさげに咽喉を晒す。
「ボディソープの方が気持ちがいいです。あなたは味わい、香りを堪能します。私は触感を」
「そうか、あんた、匂いはわかんないのか」
「化学的に理解することはできますが、ただそれだけです」
「それ以外は人並み以上なんだから、十分だよ」
 マナは泡でT4-2の軀を磨く。力加減はいかがですか、などとは聞かない。あらゆる節に、あらゆる隙間に、真剣にスポンジを滑らせる。そこに淫らな行為に向かう気配はない。
 泡が、掌と機械の肌とのあいだで、なにかとても繊細なものを護ろうとするかのようにふるえていた。
「洗い方が手慣れていますね。想定した快感とは違いますが、心地よいです」
「給油所で洗車の仕事してたことあるから。パンツ見えるか見えないかの短いスカート履いて、オレンジのシャツたくしあげて、こうやってお腹出して」大行列だったよ、と言ってみる。
「なるほど、あなたならではの付加価値の創出ですね。さすがはお金に真摯なだけあります。尊敬の念に堪えません」
「あんた実はあたしを馬鹿にしてるよね」
 マナはT4-2の貌を容赦なく擦る。泡の膜の向こう側に、細められた眼光が透ける。その光は快か不快か。おそらく雑に扱われる快感の方。
「とんでもない、私は大抵の場合において言葉通りの意味しか意図しません」
 本当かよ、と凄むマナに降参するように掌を向け、どうも分が悪いようなので、話題を戻します、とT4-2。
「他にはどんなお仕事を」
「下着みたいな服でベッドに横たわってるだけの簡単なお仕事」わざと勘違いしそうな言い方をしたが、実際のところは寝具店の客寄せのマネキンである。
「なるほど」T4-2は激しく目を瞬いて、しばし沈黙した後「確かに、沈黙した無防備なあなたの肢体を観察するのは非常に意義深い営為でしょう」と頷く。
「あたしじゃなくて、別に誰でもいいんだよ。見てくれが女なら。それにあんたのは観察じゃなくて監視でしょ」
 マナは全身泡まみれにした鉄塊に遠慮なくシャワーを浴びせかける。水気を含んだ泡はするすると隕鉄混じりの肌を伝って流れ落ちる。
「はい、おしまい」
 T4-2は水の滴る己の軀を姿見で確認して一言。
「私もあなたにお代を支払わなければいけませんね」
「それをやると途端にいかがわしい雰囲気になるよね。それにどうせその金あたしが昨日あんたにやった金でしょ」
「何故私の軀を洗って金銭の授受を行うのがいかがわしい意味を持つのですか。無償ならばいかがわしくないというのなら」T4-2はやにわに振り向き、濡れた腕でマナの腰を抱いて引き寄せる。「私との夜毎の性的な接触はいかがわしく感じてはいただけていなかったのでしょうか」
 十分に感じていたし、今もいかがわしさを鋭敏に感じている。匂いも、温度も、鼓動も、T4-2には欠けたものばかりだというのに、彼の言葉は生々しくマナの五感を苛む。そう思っているのが相手にばれないように、マナは顰めつらしい顔を貫く。
 密やかに這う指先がマナの首筋を伝い、きっちりと喉元まで留められているブラウスのボタンを一つずつ、まるで供物を解くように外してゆく。露わになる首元と、それを彩る色濃い痣。血流を追うように金属の口唇がマナの肌を辿り、痣の上で止まる。マナの身体が幽かに震える。快感の悲鳴だけはすんでの所で抑え込んだ。
「ほっそりして、滑らかで」愛おしげに細められた視線が触れるように這う。「まるで精緻な手工芸品。お綺麗です。この世のいかなる精華もあなたには敵いません」
「そういうこと言っていいの。外見のこと」先程駄目だと牧島に厳命していたはずだ。自分のことはまったく棚の一番上に上げている。
「こうした状況下においては例外扱いとしてよいはずです。あなたも私を褒めて下さってもよいのですよ。声、瞳、膚触り……殊に使い心地など」
 ああ、この男、このナルシストは、マナが愛好してやまないところを知り尽くしている!
 への字に結ばれたマナの唇の端に接吻が落とされる。どうか機嫌を和らげてと言うかのように。
「実家でも気にせずやらしいことするんだ」
 マナは口付けされた側だけ口角を上げて嫌味な笑みを浮かべる。
「しばらくできませんからね」
 二晩ほどは、と立てた二本の指がマナに向けられる。
「その間、欲望の解消のために私以外の誰かと情を交わされてはかないません」
 こんな変態行為、他の誰とするというのか。自分を行きずりの他人と易々と肌を重ねる人間だと思うなんて、最低最悪な男である。
「それはお世話様。あんたあたしのこと好き好き言う割に信用してないよね」
「眷恋と信義が両立するとは限りません」ピンと立てた指がマナの目の前でうるさく振り回される。「私はあなたをこの世の誰よりも深く敬愛していると確信しておりますが、同時に誰よりも無慈悲に警戒しております」つまり、常に目が離せないということでもありますが、とT4-2は低く呟く。
「その言い方ひどくない?」
「お忘れのようですが、故あるとはいえ、あなたはそもそも隕鉄泥棒で、そしてどこか危うい所がある」
 忘れかけていたことをよくも掘り返してくれたものである。泥棒などと。
「じゃあどうしたら信用してくれるわけ」
 信用云々というより、マナが意外にも潔癖であると、わかってくれさえすればいいのだ。そもそも見ず知らずの他人に触れられて、接吻だの粘膜を擦り合わせるだの、考えるだに忌避を一足飛びに超えて吐き気すら催す。