異形の誘い

「いかがでしょうか」
 美容師が鏡を掲げ、後ろ頭を映す。
 技術は悪くなかった。ミディアムショートの髪は、ふんわりとしたボリュームで後頭部の形をよりよく彩っている。
 ミナは、いいわ、と頷いてみせた。美容師はほっとしたように緊張の面持ちを和らげる。
 無造作に散切られた頭で現れた女を見て、さぞ肝を冷やしたことだろう。しかも不機嫌そうな青白い顔の。
 好きでこんな顔なわけではない。生まれつきだ。
 ミナは鏡の中の自身を睥睨して唇を引き締める。
 しかしこんな容姿でも、マナは綺麗だと言ってくれた。それだけが今でもミナの絶対的な心の拠り所だ。
「とてもお似合いでいらっしゃいます」
 おべっか使いのいやらしい顔と鏡越しに目が合う。
 昼間でも不躾に照らしつけてくる眼光に、ミナ以上に血の気のない肌。信用ならない、表面ばかりの笑み。
 こんな奴に褒められてもまったく嬉しくない。ミナが最も重んじていたものを横から掻っ攫った男なんかに!
「ここは私が」椅子を立ったミナを先導するように、彼女の前に巨躯が不自然なまでに軽やかに割り込む。
「当たり前よ」そもそも発端はこの男のせいなのだ。
 隕鉄をあしらった髪飾りを奪うため、躊躇なく髪ごと切り離された。おかげでさほど似合いもしないショートヘアにせざるを得なくなった。
 ロボット警官は胸元に手を差し込み、皺ひとつない外套を乱すことなく、さりげなく財布を取り出す。そして新札高額紙幣で支払いを済ませた。こんな気障ったらしいところにも虫酸が走る。
 ミナはさっさと美容院を出て、銀座の目抜通りを不機嫌に闊歩する。
「お待ちください」追い縋る警官。ミナは振り向いたりはしない。「組織を抜けられたのでしょう。なんの後ろ盾もなく現代社会に放り込まれてお困りのことはありませんか」
「私が組織を抜けたこと、どうして知っているの」ミナは横目で男を捉えて言い放つ。
「私は調査能力に長けておりますので」
 自信たっぷりに厚い胸板に添えられる手。こういう所作も気に入らない。この男のすべてが、演技じみていて欺瞞に満ちている。自分をよく見せることだけに興味がありそうな。
 マナはどうしてこんな嘘で固められた男に入れ込むのか、理解ができない。元はそんな人間ではなかった。こうした取り繕ったような性格を、かつては一番嫌っていたはずなのに。
「生活の資金繰りにお困りでは。たとえば服飾費。安価で腕の良い仕立て屋をご紹介できます。隣人なのですが……」
 馬鹿も休み休み言え。ミナはロボット警官をちらと睨みつける。この男の知り合いに頼むくらいなら盗みを働く方がマシだ。
 ミナは往来のベンチに忘れ去られていたカーディガンを拾い上げて羽織る。
「その行いは遺失物横領に相当します」
「どうせ持ち主は取りには来ないわ。銀座に遊びに来るような金持ちよ。服なんていくらでももっている。それなら私が有効活用した方がカーディガンも報われるというものよ」
「流石はマナさんの古いご友人です。その独特の倫理観、彼女に通ずるものがあります」
 “古い”友人、という言葉の選定にミナは意図的な含みを感じた。今最も近しい存在は自分だとミナに知らしめているように聞こえた。
 ミナは思わず口撃する。
「彼女に言いつけるわよ。私とこうして会っていると。きっと怒るでしょうね」
 この男に対して決定打となるのは、マナの名だけだ。
「マナさんからお叱りを受けるのは悦びです」
 いやらしい笑みが深まったような気がした。
 ミナは一つ、呆れた嘆息を漏らす。
「私の美容院代を払ったのだから、もう目的は済んだはずでしょう。いつまで付き纏う気なの」
 あ、そうそう、と口にして、白い人差し指が立てられる。
「これをお渡ししたかったのです」ロボット警官は懐から一枚の紙を取り出す。「きっと素晴らしい出会いがありますよ」
 第五十回 悪の技術展示会――チラシの見出しにはそう記されていた。
 馬鹿げた催しだ。それとも自分を馬鹿にしているのだろうか。ミナは男の馬鹿みたいな丸い目を睨みつける。
「余計なお世話よ」ミナに必要なのはマナだけだ。
「あなたの求めるものが、きっと見つかるでしょう。あなたが私を――この世から葬り去りたいと願っていること、私は理解しております。その一助となるものが、ここにはあります。いる、と表現した方が正確でしょうか」
 そんな、自分の弱みを得意げに晒すなど、正気の沙汰ではない。罠ではないかと勘繰ってしまう。そして、その言動は、最初にこの男と邂逅した時に抱いた印象とは、どこか食い違っている気がした。
 マナも、彼女の家族も守ると大言壮語したのと同じ口が、今更何を抜かすのか。
「あなた……本当にあのロボット警官なの?」
 男は嘲るような微笑に人差し指を添えた。
「多面的で神秘的……でしょう?」
 顎を引き、貌にかかる陰影が増し、笑みが深まる。とても油断のならないものに。
 マナは絶対にこの男に騙されている!
 ミナは男の手からチラシをもぎ取る。
 この男はいつか必ず廃材にする。
 鉄で作られたまやかしの被造物。自分は人間の女に愛されるに足ると思い込んでいる、名もなき怪物。

THE END of Clear temptation