そこ、とセルヴォーが指差したのは、通路を挟んですぐ向かいだった。無人のテーブルの上には靴箱くらいの大きさの黒い箱がいくつか乗っている。見るからに、なんだか悪そうな雰囲気が漂う箱だ。どす黒い艶を孕んだ、ねじくれた血管のような文様の浮かぶ外装。電源も何も繋がっていないのだろうに、どことなくしっとりと誘うように拍動して見えた。心のない心臓――そんな言葉が、マナの脳裏に浮かぶ。
「今回の配布は、汎用亜人型自律特殊人形の頭脳核。これでみんなそれぞれ趣向を凝らした汎用亜人型自律特殊人形を作れますよ」僕も一つもらいました、とセルヴォー。
マナは耳を疑う。こんなことがあっていいのか。
「それがあれば、つまり、あの人みたいな」自分で考えて動いて喋る変態の「ロボットが作れるわけ」
「そう、彼のように極めて人の思考に近いアンドロイドを、自分の手で教育できちゃうんです。ボディデザインや武装もお好みのまま」初回はなんと無料! まるで何かの宣伝みたいに言うセルヴォー。
「あんなのおいそれと作られたら困る!」
「いろんな性格と姿の子がおったら楽しいやん」
「楽しくないよ!」
「あ、愛しのロボット警官の先進性と独自性が損なわれるから?」
「全然違う」
とりあえず、残る分だけは回収して破壊しないと、あんな迷惑機械が蔓延っては、人類、ひいては地球の危機だ。自由と平和を標榜する者でさえああなのだから、悪を誇る者の元に生まれたロボットとなったら……マナは目眩をおぼえながらも暮谷のスペースに取りつく。
残る四つの箱に、マナはがむしゃらに覆いかぶさる。両手で、抱えきれないほど必死に。そんなマナの肩を冷たい金属の手が掴む。
「なにやってんねんお姉さん、一人一個やで、こういうもんは。書いてなくても常識や。ほんま野人かいな」
「はなせっ、こんなもの、この世にあっちゃあならない!」まるで正義感から発せられたかのような台詞。まったく違うが。「壊して海に捨てる!」
マナは腕の中にじわりと磁力を滲ませる。隕鉄なしで、この量を一度に破壊するには、命を賭けることになるだろう。だが、やらねばならない! マナの平和と自由のために!
「ちょっと、だめですってば、完全自律思考回路を作れるのは今のところ暮谷博士だけなんですから!」
「いいや、わしがいる!」
不意に、音割れした大声がマナの耳を破る。
「暮谷! 貴様に馬鹿にされたわしの研究、遂に実ったぞ」
声の主はすぐに見つかった。マナ達のすぐ近く、イベントスペースのステージに立つ、老齢の男。少々傷んで薄汚れた白衣を着て、これが科学者でなければなんだという出立ち。手には大きなスピーカーつきマイク。傍には物騒な何かが収納されていそうな大きなトランク。
マナは、ステージ上の老人を指さした。「誰」
「倉井博士ですよ。暮谷博士と同様に――」「それ以上だ!」倉井が叫ぶ。「あ、はい、それ以上に機械工学に通じている人物です」
「貴様の作ったポンコツと、わしの魂の力作、どちらが素晴らしいか確かめようではないか。いるのだろう暮谷!」
「たぶんおらんで。暮谷博士も、牧島重工製四五式トロイリ四型汎用亜人型自律特殊人形第弍号ちゃんも」
それでも倉井は引かない。
「いないならば引き摺り出すまでよ。ゆけえ、アストロサイド! ひと暴れしてアンドロイド警官を誘き寄せるのだ」
「イカれとんのか、御老体! 来年ここが使えんようになったら、次はもっとド田舎の会場になるんやで!」
機械公爵の真っ当な非難が口火を切って、周りに集まり始めた悪党共も口々に悪の老科学者を責め立てる。やれ交通の便だの、まともな宿がなくなるだの……しかし、そんな言葉だけの制止など、暮谷に執着している様子の老人には、どこ吹く風。
「そんなの別にわし困らんし。さあ早く出てこんかアストロサイド!」
まさに最初の一人――あの海遊宇宙服――が老科学者の凶行を止めようと、おもちゃのような銃を構えたその時。金具の外れる音と、ぜんまいの巻き上がるかのような機械音。そしてマナの耳元を掠める鋭い何か。メットに突き刺さる歯車。割れた内部から吹き出す水。ゆらりと倒れる宇宙服。溢れた魚は空気の中で喘ぎ、もがく。まるで溺れるように。
突然の凶行に、周囲の音が引く。残るのは魚が跳ね回る音だけ。
マナは反射的に身体を磁力で守り、歯車の出どころを探す。それは、舞台の脇に立っていた。誰に気づかれるでもなく、いつの間にか。
遅れて、歯車に掠められたマナの耳元がぞわりと粟立つ。薄皮一枚裂かれた耳が熱を持った。
「ドクターおさかなが!」セルヴォーが叫ぶ。
ドクターおさかな……魚群を内に秘めた宇宙服を、一撃のもと打ちのめしたのは――「時計?」黄金の歯車が狂いなく時を刻む、すらりと整った肢体。まるで、大時計の内臓を、人間の形にくりぬいたかのような。あるいは観音像のようにも見える。しかしその顔には仏像のような穏やかな表情も、顔らしきパーツもない。そこで蠢くのは情感のない剥き出しの歯車だけだ。
「きれいやなあ……」機械公爵の溜息。こんな状況でなければマナだって心から同意したい。
歯車ロボットはきりきり、かちかち、と軽快な音を立てて、掲げていた腕をゆったりと下げる。その足元には空のトランク。どうやら折りたたまれて収納されていたようだ。
「出てくるのが遅いぞアストロサイド!」
老人にしては張りのある怒声に対するのは、キンキンと高く軋んだ音声。汎用亜人型自律特殊人形の不躾な陽気さのある音声とは違う、ある意味とても機械らしい調子の声だった。
「パパが早すぎるんだ。ぼくは時間通りに出てきたもん。ぼく、悪くないもん!」
語尾はノイズ交じりに跳ねて、足は地団太を踏む。見た目とあまりにもそぐわしくない声と態度で、アストロサイドは造物主に抗議する。
「ロボット?」マナは呟く。
「物知らずめ。アンドロイドと言え」
どこかで聞いたようなセリフだ。
「こいつはそんじょそこらの自立機械と違って賢いぞ、賢すぎて……」
「パパのピーッ!」アンドロイド、アストロサイドの語尾が耳障りな電子音に変わる。「パパなんかピーッ! ……ピーッ! もうっ、なんて言えばいいのっ!」どうやら倫理的によろしくない言葉は電子音になってしまうようだ。
「こいつは一次反抗期を迎えた」
どうだ、と老科学者は胸を張る。マナにはそれが本当に賢いのかどうか甚だ疑問であった。
「暮谷は言った。完璧に欠点を再現することこそが真なる完璧だと! それをわしはやり遂げたのだ」
「諸悪の根源は暮谷かよ」やはり、T4-2の製造に関わった人間だけあって、他人とのやり取りがまともではない。
「さあアストロサイド、お前の素晴らしさを見せつけてやるのだ」
「ヤダッ」アストロサイドは上半身ごと激しく頭を振って反抗する。「なんでぼくさっき怒られなきゃいけなかったのっ。ねえっ、パパ、ごめんねは!?」
一人と一体の、緊張感のないやり取りに警戒心が薄れたのか、彼らを取り巻く悪人共の吐き出す息の意味合いが変わってくる。緊張から、虎視眈々と隙を狙うものに。機械公爵がじりじりと腕を動かす。その指先を倉井の視線が追う。マナにはわかる、その目に宿るのは油断のなさ。
やめとけ、とマナは機械公爵の腕を下げようとするが。
「帰ったらテレビ好きなだけ見ていいぞ!」
倉井の台詞が終わるか終わらないかのうちに、機械公爵が吹き飛ぶ。仰向けに倒れた機械公爵の胸部には、歯車がめり込んでいた。全身が細かく痙攣し、そして脱力。
「絶対だよ! 絶対絶対絶対だからね!」場違いに明るい声が跳ね回る。「ぽーん。アストロサイドが午後二時三十分ちょうどをお伝えします」――戦闘開始時刻です。
臨戦態勢だった悪人どもが、倉井と、そのアンドロイドに飛びかかる。このまま好きにさせてたまるかという反骨精神や、この乱闘に混ざらずにはおられようかという反社会的精神が二人目の犠牲で暴発したのだろう。
一方のアストロサイドも、先程までの幼い態度はどこへやら。長い手足を遺憾無く使った近接格闘と、体中から放つ歯車で、自身と主人を守りながら、臨機応変に応戦している。性格はどうあれ、彼は確かに兵器だった。
マナとセルヴォーは機械公爵に駆け寄りしゃがみ込む。マナの場合は機械公爵を案じたからではなく、屈まないと、飛び交う流れ弾や光線に当たりそうだったからだ。
「生きてる?」
マナは機械公爵の首筋に手を当てる。鉄のように冷たい!
「死んでる!」
「勝手に殺さんといて」
甲冑の中から元気そうな声がする。
「じゃあ死んだふりしてないでさっさと立ちな」とマナは機械公爵の腕を掴むが、体は弛緩したまま、起き上がる素振りがない。衝撃波がマナの髪を掻き上げる。セルヴォーが銃声に身を丸める。悠長にこの場に留まってはいられない。
「アーク放電体がお釈迦になってもうた」
「いいから起きな」
「動かれへんってこと。……あ、今お姉さん、うちを見捨てようとしたやろ!?」
当たり前だ。縁も借りもない、あるのは恨みばかりの相手だ。
動けない機械公爵はもちろん、荒事には不慣れそうなセルヴォーも見捨てて一人で逃げるのが一番賢い身の処し方だろう。
しかしその足を鈍らせるのは、あの自由と平和を尊ぶ男の魂だ。
彼ならこの状況でどう振る舞うのか、考えるまでもなく身に染みている。
その時、視界の端を、愛おしい影が過ぎったような気がして、マナはふと顔をあげる。その先にはテーブルの残骸が奇跡的に作り上げたバリケードがあった。まるで浜辺の木陰のような、陽射しも人の目もないような……。
マナは機械公爵を睨みつける。
「いいや見捨てない。そのかわり二つ約束しな。盗みはもうやめる。これまで盗んだ物も全部返す。そしてもう二度とT4-2を狙わない」
「お姉さん、二つやなくて三つ言いおったで」
マナの頭上を衝撃波が掠める。それだけで、背筋に嫌な振動が迸る。生身の体に直撃したら骨の二、三本……五、六本は折れるだろう。
「約束できるかできないかだけ言え」
「約束する」
マナは磁力で機械公爵を抱える。そして、呆然としているセルヴォーの背を、ついでのように蹴って、どやしつけた。
光線が卓上のパンに穴を開け、波動がパーテーションをひっくり返し、すっ転んだセルヴォーの悲鳴が響く中、マナは倒れたテーブルの重なり合う陰に滑り込む。そして大荷物を床に投げ捨てた。
「やってやったぞ」
「お姉さん、すごいやん。うちこう見えて結構重いんやで」
こう見ようがどう見ようが激しく重そうにしか見えない。
セルヴォーも無事についてきたことを確認して、マナはとりあえずの猶予に胸を撫で下ろす。
「や、や、本当に、どうやって?」
「感謝だけしとけ。あたしを詮索するくらいなら逃げる方法、考えな」
ここも長くは持たないだろう。倉井のアンドロイドは強すぎる。
「三秒後に十時の方向にぱふぱふどっかんが出るよ!」
バリケードの向こうでは、どこかで聞いたことのある軽快な電子声が響いていた。
そう親切に予告をされても避けられる者はそうそういない。横っ腹にまともに衝撃波をくらった男が盛大に吹き飛び、マナ達の隠れるバリケードに激突する。
「格闘に、歯車投擲に、空気砲まで……いや、強すぎない? これで近接武器もついていたら、戦闘兵器として申し分ないですよね。僕だったら収納式ブレードにするかなあ。あのスマートな身体に映えるしリーチも伸びる。設計書があればもっと……倉井博士に頼んでみようかなあ」
状況も忘れ、バリケードの隙間から金色のアンドロイドを観察するセルヴォー。
「うう、頑張れアストロサイド! 僕の上司をみんな倒しちゃってっ」
「あんたはどっちの味方なんだよ」
この役立たず共を連れて逃げるには、騒乱を潜り抜ける必要があった。そしてアストロサイドの真横も。
「いつもの機械のお供はいないの」
マナは機械公爵に聞く。
「はあー? ギグワーカーなら昨日列車で全部壊れてもうたの見たやろ! 誰のせいや思ってんねん」
「ロボット警官のせい」……マナのせいだ。二、三機くらいは残しておくべきだった。「念のために聞くけど、ダークフェンダーも来られないよね」
「当たり前や! 土手っ腹に大穴開けられたんやで!」うちの可愛い子に! と機械公爵は横たわったまま、声で暴れる。
