鋼と夢の超技展 - 7/11

「確かに同情だったかもね。あと好奇心。あたし達、毎晩こっそり海辺で会った。外の世界のことを、色々教えてくれたから。研究所が失敗作とみなした超能力者達を処分していることも、そいつから教えられた。今思うに、善意じゃなくてあたしを利用するためにいいことばっかり言ってたんだろうけど」
「本当にあなたや超能力者達を助けたい一心だったのではないですか」
 まったく汎用亜人型自律特殊人形の人の良さには呆れかえる。何の見返りもなく他者に手を差し伸べる者が存在すると思うなど、まったくおめでたい。警察やめちまえと言いたくなる。
「あたしが研究所を潰すために大暴れしてる間、そいつが何してたと思う」
「マナさんの応援」T4-2は人差し指をぴんと立てる。「でしょう」
「あんたじゃあるまいし。そいつ、こそこそ隕鉄盗んでやがったんだよ。あたしを利用して火事場泥棒したってわけ。余計なこと吹き込んでさ。他の奴らと一緒だ」
 思い出したくもない。マナがいることに気づいたときのあの男の態度。バレちゃったなあ、とでも言いたげな、人を食ったような、舐めたような、困ったような、そうなると知っていたかのような……その姿は、どこか“目の前の男”を思い起こさせた。
「だからあたしは決めたんだ。あいつが隕鉄を百個集めるなら、あたしは千個壊す。けど、感謝している部分もあるにはある。あたしが内藤の家に養子として引き取ってもらえるよう話をつけておいてくれていた。おかげで人間らしく生活できてる」
 T4-2は静かに目を伏せた。その暗転した目は、だからそいつが好きなのか、忘れられないのか、という苦悩と納得の瞑目に見えた。
「あたしは外の人間とまともに話したことなんてそれまで一度もなかった。だからそいつはそういう意味では特別な人だった」隔絶した環境において、流星のごとく飛び込んできたものは劇薬も同然。「好きじゃなかったと言えば嘘になる。隕鉄盗んでるところを見るまでは確実に好きだった」一緒に島を出て、その後も彼に着いて行こうと思うくらいに。
「島を出てからはそれっきり。今もたまに思い出すのは、そいつがあまりに強烈すぎたからだよ」
 そう言いながら、マナの指先は、目の前のT4-2の空の袖口をまだ離さなかった。布の中の空虚をなぞるたび、そこに確かに“体温のようなもの”が戻ってくる気がした。
「もし再び会えたなら、どうなさいますか」
 搾り出すようなT4-2の声。精密機械だというのなら、たかが女一人の言葉にここまで調子を乱高下させないで欲しいものだ。相手が気落ちすればするほど、彼女はT4-2を案じてしまう。関係というのは難儀なものだ。
「まず殴るかな。あと受けた分の恩は返す。それだけ」
「それだけ」
「あんたに対してはそれだけじゃない」
 マナはT4-2の手を両手で包み込み、真剣な面差しで男の目をしっかりと見つめる。
「好き」
「今なんて」
 二つの目の輝きが焼け付きそうなほど増す。
「あんたと違うんだから同じこと二回は言わない」
 決死の告白に対してこの浮薄な態度。許せなかった。マナはT4-2を上目で睨みつける。T4-2は慌てたそぶりで手を振る。
「失言でした。言い直します。明日の私にも同じことを言って欲しいのです」
「嫌だ」
 それでも損ねた機嫌が戻らぬ女を、T4-2の腕がしっかりと抱き寄せる。片腕でも十分に力強く十二分に優しい。
「どうか」
 そして耳に流し込まれる懇願。匂い立つような声音はマナの脳を切なく締め付けて従順にさせる。
「あんたはずるいよ」
 どうか、の一言で失態は誤魔化されてすべて思い通りになるとわかっているに違いない。
 マナはT4-2を力任せに抱き返して熱くなった顔を胸に埋める。いつもと趣の違う革ジャケットの肌触りが心地よい。
「何でも覚えているくせに」
「人よりは多少鮮明で長持ちですが、私の記憶領域にも限りがあります」
 平坦な声は徐々に湿り気と陶酔を帯びてくる。
「溢れてしまった記録はやがて記憶になります。苦々しくも曖昧で、麗しい記憶に。単なる磁気記録が、石板に彫られた刻印になる。擦り切れて尚殘る物、宇宙の光芒パルサー、流星の滴りテイル、磁力の残滓マグネター
 自分に酔ったような声でT4-2は滔々と意味不明な供述をする。
「やっぱり頭も治してもらおう」粗雑機械が何を言っているのかさっぱり理解できない。
「最後に残るのは、幾億の夜を彷徨ってもあなたを求める私だけ」
「それ、あたしのことが好きって言いたいの?」
 はい、とT4-2はこくりと頷く。その立派な体躯に似つかわしくない、稚ささえ覚える純朴な仕草。
 T4-2は服に砂が纏い付くのにも構わず、マナの前に跪く。
「今日は私のために危険を冒して暮谷博士を探しに行ってくださったのでしょう」
「そんなに危なくもなかった」
 私のために、という部分は否定も肯定もしないでおく。嘘は見破られるし、本当のことを言うのは憚られる。
「あなたはいつも私のことを助けてくださいます」
 T4-2は俯き、溜息のような笑いを零す。彼にしては珍しい笑い方だ。あははあはあという不自然で調子外れな哄笑か、ふふふと穏やかで自然な笑みか、くつくつと喉奥で鳴るような淫らな笑いしかマナは知らない。今の静かで自嘲的な笑いには一番人間味があった。複雑な気持ちの発露だ。
「これからも、私はあなたの慈悲深さにつけ込んで悪辣で間の抜けた振る舞いをすることでしょう。そしてあなたを傷つけます。しかし何が起ころうともこれだけは覚えておいて欲しいのです。私の限りない一生をかけてあなたや、あなたの大切なものを守り続けるということを」
 マナはT4-2の手を取り立ち上がらせる。膝についた砂もはらってやる。
「あんたは十二分に善良で冴えてるよ。それに紳士的。あたしには勿体ないくらい」
「マナさん、あなたに接吻しても構いませんか」
「紳士でも、いちいちお伺いを立てなくていいこともある」
 マナはT4-2にいま一歩近づき、頭上にある顔を仰ぎ見る。波がひとつ砕ける音だけが、二人のあいだに残った。潮気を帯びた風がマナの髪を撫で、T4-2の胸元に触れさせる。
 機械仕掛けの喉が嗚呼、と震えた。鈍色の顔が近づいてきて、変わらぬ微笑が唇に触れる。冷たくも温かな接吻だった。それは、記憶と記録がひとつになる温度だった。
 金属の指が大層愛おしげにマナの髪を弄い、頬を撫でる。機械仕掛けの指にそうされると、自分が彼と同様の上等なものになったかのような気持ちになる。
 唇が離れると、潮風と鉄の味がわずかに舌に残る。
「マナさん、もし門限を気にしなくていいのであれば……いいえ、これ以上はやめておきましょう。自分と……あなたを裏切ることになる」
 修理中の身の上でマナと同衾して性的な高揚で回路を飛ばすような事態になっては困る、とでも思っているのだろうか。
「あんたの言うこと、大抵ちっとも分からない。特に今日は」
 先ほどまでの蕩けたような声とはうってかわって、T4-2は明朗に言う。
「いいではありませんか、神秘的で」
 顔の横で人差し指をぴんと立てて胸を張る様は到底神秘的とは言い難い。
「あんたは自分自身を良く捉える天才ね」
「お褒めに預かり光栄です」
「褒めてない」
 マナはT4-2を腐しながらも気持ちを込めた手で彼の顔を撫でる。
「あたしも自分も、裏切ってしまえばいいよ」
 T4-2の目の輝きが一際大きくなり、そして細められた。とても嬉しげに、淫らに。
 波が寄せて、白い泡が彼の足元を撫でた。それはまるで、過去が今を溶かし、許す仕草のようだった。

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 マナと一夜を共にするか否か迷っている素振りを見せていたにも関わらず、T4-2の手回しは異常によかった。
 T4-2に手を引かれて来たのは海に臨むホテルだった。こぢんまりとしているが、洋風の佇まいはとても瀟酒だ。
 既にチェックインは済ませていたようで、誰もいないロビーを素通りし、三階の一番奥の部屋の前に立つ。金色の鍵を差し込む指先は、わずかに震えていた。
 しかし躊躇のそれではない――。許されぬものへと手を伸ばす者特有の、それでいて、今夜だけは掴み取ると決めた者の震えだった。まるで初めて肌を重ねたあの夜のような、決意と葛藤のあわいにある仕草。マナはそこに彼の生きた色気を覚える。
 大きな窓からは夜の海が一望できる。なかなか高そうな部屋だ。宝石のように輝くミニバーもあるし、窓辺のカウンターテーブルの上には寿司折り。
「準備が良すぎる」
「お褒めに預かり光栄です」
「だから褒めてないんだってば」
 マナはミニバーから一際鮮やかな青い小瓶を手に取ってぐいっと一口で飲み干す。視界の端には呆れたように肩をすくめるT4-2の姿。
「金は払うよ」
「支払いのことはお気になさらず。そうした小さな瓶入りのアルコールはそのように飲むためのものではない、と申し上げたかったのです」
「ご忠告感謝いたします」
 マナは二本目の蓋を雑に開けて中身も空ける。あまりに小さくて飲みごたえがない。あと五本は飲まないと酔えない。それとも、もう酔いを知覚できないくらい酔っているか。
 次のボトルに手を伸ばすマナの腰にT4-2の腕が巻きつく。金属の腕は軽々と、まるで何千回も同じ動きを繰り返したかのように滑らかにマナをカウンターの上に横たえる。カウンターの木目に背が触れる。冷たさの次に、重量がのしかかる。覆いかぶさるように近づいてくる貌。吐息と排熱が幽かに交わる。アルコールの香りと機械油の匂いが溶け合い、空気そのものがとろりと甘くなった。
「酔うためだけにいらしたわけでもありませんでしょう」
「いつもと違う」
 眼差しをゆるく細めた淫らな表情はいつものこととして、テーブルの上に寝かせるなんて、普段ならしそうにない。
「お気付きになりましたか」
 T4-2は自身の膝から胸元までをゆっくりと見せつけるような手つきで撫で上げる。
「似合っているでしょう。フライトジャケットも」
 そして柔らかな革の襟元を二本指でなぞる。この一連の自己陶酔だけはいつもと変わらない。
「服」「フライトジャケット」「うん服」「フライトジャケット」「のことじゃない」
 そしてどうでもいいことを一々訂正してくるところも。
 鈍い光沢のある黒いジャケットは頑健な軀を一部の隙もなく包みこんで、その隆起をより一層剛健に見せてくる。いつものお上品な服装よりも、どことなく荒っぽさ、無頼な様子が見える。
 肌を掠める生地は柔らかく、温かく、幽かに香油と鉄の匂いがした。まるで人皮だ。人間の……ただの男と熱を交わしているような気がしてしまう。
「お気に召していただけましたか」
 顎を引いて上目遣い風に眼光を細める様の嫌味で色香漂うことといったら。
「ワルみたいで気に入った」
「初めて私の装いを褒めてくださいましたね」
 マナが素直に認めたことに気を良くしたか、見下ろしてくる眼光には喜悦と揶揄が入り混じり、なお一層淫らな色が溶ける。喉の奥で、秘められた笑いがくぐもる。なんと淫奔なこと。
 マナの唇をすう、となぞる指。アルコールの作用を増進させるような、その手付き。
 マナの顔がぱっと赤らむ。自分の気持ちを少々曝け出しすぎた羞恥と、アルコールのせいで。どちらかというと前者の割合が高い。好きだなんて言わなければよかった、と今更ながら後悔する。そしてそれが尚更マナの頬を染める。
「褒めたわけじゃない」
「褒められた格好でなくとも、あなたに気に入っていただけるのなら何よりです」
 マナはT4-2の上質な胸倉を、くしゃりと掴んで起き上がる。そして巨体を軽々抱き上げて、バスルームまで運ぶ。
「明らかに私より力のなさそうな体躯の人物に、そう軽々持ち上げられると興奮してしまいますね」
 うっとりとした声色がマナの耳の裏を湿った吐息のように撫でる。腕の中の軀がほんの少し悶える。強者に組み敷かれる悦びを全身で味わっているのだ。被虐趣味の鑑。穢れた興奮。
「興奮させるつもりでやったわけじゃない」