鋼と夢の超技展 - 8/11

 バスルームの入り口でT4-2を下ろすと、マナは彼の後頭部を押さえて硬質で滑らかな微笑に口付ける。支配と慈愛をこめて。しかし味わう暇を与えないくらい軽く。
「これには興奮しても構いませんか」
「そのつもりでやった」
「ああ……マナさん」
 途端に溢れ出す熱っぽい声。追いかけてくる金属の唇。泣いているように切なげに。
 それを意地悪くかわして、マナはT4-2の襟元に手をかける。
「気に入ったとおっしゃったのに、もう脱がせてしまうおつもりですか。性急なことです」
 マナの腰に絡みつく硬い腕。金属製なのに柔軟に蠢き、のたうち、蛇のようにマナの背骨を舐める。まるで自分が獲物であるかのように錯覚させる抱擁。だが、離れようにも逃げ場などない。背中にはタイルの冷たさ。前にはT4-2の鉄壁の軀。
 服を脱がす隙などない。厚く熱い胸板を押しても、当たり前だがびくともせず、それどころか寧ろもっと吸い付いてくる。磁力を発揮しているわけでもないのに。
 まるで全身でマナの体を検めるかのように。触れたいという意志を身体全体で刻みつけてくるかのように。彼の抱擁は侵襲的だった。皮膚の下まで潜り込まれそうだと錯覚するほどに。
「もっとよくご覧いただきたいのですが」この私を――と自惚れ屋はじっとり湿っぽい声色で言ってくるが、こんなにくっついていては服なんて到底見えやしない。服ではなく、自分自身を見せたい、という意味ならわからないでもない。
 マナの顔先にある二つの目だけが彼女の視覚を強権的に支配する。自己愛的な眼差しが愛おしく、目が離せない。
 目の前の男はまるで恋に恋する生き物だ。機械の体に巡るのは、沸き立つ情の粘液。
 頭の奥が痺れてくる。甘ったるくて、非常に怠い。愉悦の痺れだった。圧迫された肢体から、逃れる気力は既に剥がれ落ちている。
 それをいいことに、金属の手がぬるりとマナの襟元に忍び寄る。首筋と胸元を覆うストールの中に滑り込む指先。素肌に触れるか触れないかの、もどかしい感触。
「あ……っ、ちょっ……と、そこは」
 そう言いつつも、抗議の声は虚で、身はのけ反ってT4-2に肌を明け渡してしまう。
「ご安心ください。これは単なる確認です」
 平然とした声。だが指はどんどん深く、繊細に……まるで自らの所有物を点検するかのような、異様なまでに愛情を込めた丁寧さで、マナの鎖骨から胸元をそっとなぞる。
「何言って……だめ……」
 ふいに指がぴたりと止まる。マナの言葉に従ったからではない。
「だからだめって言ったのに」マナは小さく息を吐いて、観念したようにストールを外す。
 滑らかな肌を鎖骨から胸の谷間にかけて切り裂く血の隆起。浅くとも、痛々しい戦闘の痕跡。傷ひとつない肌に輝く名誉の証。
「これは……誰に」
 これまで嫣然としていた声が一変して、地を這うような低音へと変貌する。そういう剣呑な音もぞくぞくしてたまらないが……。
「そうなると思ったから、段階を追って、説明してから見せたかったんだけど」
 マナの弁明など耳に届かぬ様子でT4-2の双眸が、幽かな音を立てて収縮する。その針のように小さな明かりも異様にぎらついている。それは瞠目ではなく、照準。――言うなれば、オーバークロック。
「私は、誰に、とお尋ねしております。お答えをいただけないのでしょうか」
 いつもの丁寧さに、有無を言わさぬ熱と圧が滲んでいる。嫉妬と所有欲。機械にあるまじき情動。
「ちょっと引っ掛けちゃっただけ」
 本当のことを言ったが最後、彼は執拗にその相手を付け狙うだろう。その息の根が止まるまで。たとえ美徳回路が人間を傷つけられぬよう制御していても、相手がアンドロイドであるなら、その限りではない。
 T4-2はマナの傷痕に顔を近づける。唇が触れる、と思った瞬間、T4-2は動きを止める。彼の中で、何かがぎしりと音を立てる。
「は……冷却装置を……っ、一時的に停止してもよろしいでしょうか……。修理途上のため熱暴走で、嗚呼、衝動が――甘美に身の内を焦がします。はぁ……あなたもご覧になったあの、金属の卑しい内臓が……熱に呻いて、精神が焼け落ちる……」
 言葉は意味不明だが、その音声は破綻寸前だ。恋に破壊された機械の苦悶とでも言うべきか。
 マナは思わずその顔を両手で挟み、ぐいと押しのけた。
「汗流したいの! 今日は色々やったから」
 T4-2は呆気にとられたように眼光を拡散させる。
「色々ヤった。汗をかくほど」淫らな妄想に眼光が蕩然と歪む。吐き出される悩ましげな嘆息。「細大漏らさずご報告願えますか」
 何がご報告だ。
 そういうことを考えるのは好きにすればいいが、勝手に他人の言葉を曲解して詰問してくるのはやめて欲しいものだ。
「あんたが聞いて喜ぶようなことはなにもなかった。時計を止めただけ」
 T4-2は顎に手を当て、ふうむ、と首を傾げる。残念なのか、安堵なのか、その奇妙な笑顔からは窺い知ることはできない。
 一拍置いて、彼の目の色がふっと緩む。
「私以外の何者かとかいた汗など早急に綺麗さっぱり流してしまうべきでしょうね」
 その声は嫉妬の名残を含んだまま、バスルームへの誘導灯のように甘く濁っていた。
 T4-2は胸に手を当て、恭しく腰を折る。いつもの芝居がかった、大仰な仕草。
「昨日は脱がせていただきましたので、本日は私が。あなたが柔らかな腕を背に回し、ご自身でファスナーを下げる様子に大変唆られるものはありますけれども」
 T4-2の人差し指がマナの太腿から腰、脇腹をしっとりとなぞる。触れた場所から痺れるような快感がマナの肉体を駆け回る。
「脱がせるのにその動き必要ないでしょう」マナは情けなく震えだしそうになる声を、いつも通りの無愛想な声色に抑え込む。
「本心では脱がせてしまうのを些か惜しく思っているのです。とてもよくお似合いですから」
「じゃあ、着たままシャワーしようか」
「そうしたいのは山々ですが……明日の私はきっと、あなたの一張羅が傷んだと後悔するはずです」
「一張羅? 余計なお世話」
「これは失言」
 T4-2の手がマナの背に周り、ファスナーを下ろす。背骨に沿って滑り降りる指の感触が期待を擽る。服の中に差し込まれた手がわざとらしく肌を這い、なだらかな肩からワンピースを滑り落とす。
 残る下着も薄皮を剥くように慎重に脱がされて、マナの素肌が色温度の低い電球の下に晒される。
 照明と似た色合いの眼差しが、マナの裸体を爪先から頭の天辺まで隈なく撫でる。T4-2は感じ入るように、深く長い嘆息を漏らした。
「じろじろ見るな」明け透けに裸体を晒しつつも、マナはそう吐き捨てる。「いつも見てるんだから、今更」
「とても、とても……久しぶりのように思えたのです。長らく海底に眠っていた彫像を引き上げたかのような……そうした気持ちに……」
 眩しげに細められる目。震える手がマナの手を取って、ゆっくりと微笑にもってゆく。崇拝のような口付け。先程まで無遠慮に触れていたというのに、この落差。情緒がおかしくなりそうだ。
 T4-2の唇が手の甲から腕を滑り上がってくる。硬質な金属であるにもかかわらず、その接触は異様に滑らかで湿っていた。湿った蛞蝓の這い跡のような感触が皮膚に残る。
 唇が肩口を通り過ぎ、鎖骨に、そしてアザに触れる。
 ひとつ、ふたつ、と壊れ物に触れるかのような静謐な口付けが続く。唇とアザの間に、じわりと響く磁力。お互いがお互いのものであると証明しているかのようだ。
 T4-2の唇がアザを割る傷口にそっと触れる。痛みはない。ただ、後悔と悲嘆を感じる口付け。
「あなたにこの痛みと傷を与えた者に、私は嫉妬します。ですが、それ以上に、あなたがその痛みを背負ったことに……私は震えます」
 マナはT4-2の襟元にそっと手を伸ばす。金具を外しても、彼は何も言わなかった。人の皮を、もはや惜しくは思っていないのだろう。
 柔らかな皮が剥がれ落ちる。脱皮するように。
 露わになる頑健で大ぶりな肢体。青みがかった鈍色の肌が艶めいてマナを惑わせる。隻腕の不完全な軀には背徳的な美しさすらあった。
 マナは誘うように伸ばされた腕に素直に身を任せる。金属だが、その膚は心地よく温かい。言葉と行動は時折癇に障るが、その身はまったくもってマナを裏切らない。彼の肌身に包まれた途端、風呂に浸かったような息が漏れた。
「あなたの鼓動が肌越しに伝わって、とても心地よいです」
 そうだね、とマナは頷く。T4-2の堕ちた星の心臓もまた、マナの胸郭を優しく震わせていた。
 期待が高まる。抱き合うだけでこうまで心地よいのだから、それ以上となったら。
 T4-2はマナを抱き上げて浴槽に入り、後ろ手に蛇口を捻る。降り注ぐ水滴が巨躯に遮られ、マナに届くことはない。
「それじゃあ傘だよ」あるいは盾だろうか。出したての冷たかったり熱かったりする水からマナを守るための。
 おおっと、という間の抜けた声と共に、くるりと半回転する体。無駄のない洗練された動きは踊っているかのよう。
 熱い雫がマナのくたくたになった体を潤し、鋼鉄の膚に伝う。
 男の指が濡れた髪を梳り、絡まりを解し、一本一本に慎重に水を吸わせる。重たくなった髪に泡立つシャンプーを載せられて、頭をマッサージするように、指先で揉まれる。
 昨日のマナは、他人の車を扱うかのようにT4-2を洗ったのに、T4-2はマナにどこまでも優しく、特別な人間のように扱う。
 性的に、というよりは安らぎにマナの力が抜けてきて、T4-2の厚い胸板に身を預けてしまう。
「何もかも洗って濯いでしまいましょう」
 耳に流し込まれるその声すらマナの瞼を重くする。体を滑り落ちる石鹸の感触もまるで軽やかな夜具のベールだ。
「寝そう」
「構いませんよ」T4-2はゆっくり頷く。
「いや、そうはいかない」ここまで来て指の一本も入れず……触れず、むざむざ惰眠を貪ってしまっては雄が廃る。
「ご無理なさらずとも、あなたの微睡む顔を一晩中観察するのもまた私を充足させます」
「だからそれは観察じゃなくて監視なの」
 マナはシャワーの直下に入り、残る泡を素早く悉く流し去る。そして排水口に泡が吸い込まれる前に、T4-2に挑みかかる。
 T4-2は残念そうな、期待に満ちたような声を漏らしてマナに身を任せる。マナが顔を上げれば胸を折って唇を差し出し、指先でなだらかな股間をなぞれば、彼は音もなく、己の奥を開いた。
 水とは違う、粘質の液体がマナの手に、とろりと垂れる。開口部は柔らかく綻んで、腰はマナの指を追う。
「もうひどいことになってる。シャワーしてただけなのに」
 マナは求められ続ける唇をふいと逸らし、上目遣いに男の目を覗き込み、意地悪く唇を歪める。
「だけ、と言うと些か語弊があるように思われます。あなたの言葉は私を昂らせ、些細な身じろぎ一つで劣情を煽ります」
 そう言いながらマナの肉体の上を妖しげに蠢くT4-2の手。夜風に揺れる柳のように。そしてその下に佇む幽霊の手招きのように。
 体の方々を彷徨っていた手が、首元の痣に辿り着く。T4-2の指先は肌に焼き付いた模様に何らかの意味を見出しているかのようだ。泥に塗れて色褪せた出土品を検めるように。真剣にして繊細な、そして執着的な。手にしたものが素晴らしいものだと疑わない信念と、それ以外のものであっていいわけがないという執念が詰まっている。
 そんな風に触られると肉体的な悦びだけでなく精神的な法悦が心身を満たしてゆく。自分が大層価値のあるものに思えてくるのだ。少なくとも、目の前の男にとってはそうなのだろう。憎からず想う相手にそのように扱われると抱えきれないほどの多幸感に満ちてしまいそうになる。
 血色のよくなったマナの唇がふんわり開いて熱せられた息が漏れる。切れ長の目の端は朱に染まって、瞳が潤む。